聖快堂二代当主と道修町
「立冬」の朝。
前日とはうってかわり、風も強く寒い朝になった大阪です。
今日7日は 聖快堂 二代当主の命日。
父は漢方医である祖父の下で修行をしながら、来るべき新しい時代に備え、
漢方だけではなく西洋薬学の必要性を感じ、単身、玄海灘を超えたのが
昭和3年 17歳の時だったそうです。
来日した父は大阪 道修町の薬種問屋に職を得、住込みで丁稚奉公から
始め、勉学を続けた後、10年後の昭和12年、晴れて独立の日を迎えた
と言う。
日本における「聖快堂」のはじまりです。
独立から数十年にわたって使い込まれ、手垢がつき磨り減った薬箪笥に
生前の父が偲ばれます。
さて、前述の「道修町」ですが、「どうしゅうまち」と書いて「どしょうまち」
と呼びます。
現在の大阪市中央区に位置し、その発祥は豊臣秀吉が大坂城の城下町
を作った頃にまで遡ると言う。
「道修町」は実に400年以上の歴史を持つ町で、江戸時代、八代将軍 吉宗
の頃には、百数十軒の薬種問屋が軒を連ね、長崎と直結した大坂には中国
やベトナム、オランダ等から交易品の貴重な薬種が一旦、集められ全国に流
通するという日本における「薬」の一大拠点の役割を担い続けた町です。
また、同時に日本初の薬学専門学校が設置される等、薬学を修める者にとっ
ての聖地が「道修町」だったとも言われております。
「道修町」を発祥とする前述の薬種問屋が武田薬品、小林製薬をはじめとした
シオノギ製薬、住友製薬、田辺製薬等の前身であり・・・
歌の一節に「恋の病は道修町~~♪」
等と歌われるほど、大阪人には、薬の町として馴染みが深かった「道修町」
ですが、そんな町も現在は大きく変わりつつあると耳にします。
薬種問屋発祥の大手の製薬メーカー達が1社、また1社と東京に本社機能を
移し・・・
往時を知る人には、櫛の目が抜けたようで寂しい限りだとか。
そんな「道修町」の小彦名神社では今年も「神農祭」が今月の下旬に催される。
日本の薬の神様「小彦名」を冠した神社には中国の薬の神様「神農」も祀られ、
薬業関係者がお参りする習慣が出来たそうです。
11月22日、23日の例祭は無病息災、家内安全を願う「張子の虎」を手にし
た人々で境内は賑わう。
「張子の虎」を手にした人々を目にすると大阪も師走が間近。
二代目が歩んだ足跡を辿り・・・
23日の祝日は、若かりし日の父も参ったであろう「神農祭」に出掛けて見るの
も悪くないなぁ・・・
※神農祭の御報告、画像は後日また・・・
聖快堂のウェブショップ
■服薬相談、御注文は下記HP内、専用フォームからも可能です。
http://www.seikaido.com
http://www.seikaido.com/9_QA/seikaido_QA_1.html
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